恩師高山誠一先生退職祝いUPDATE. 2009.1.05
1月3日、佐伯鶴城剣道部の恩師高山誠一先生の定年退職祝賀会が地元佐伯市のホテルで開かれた。
運命だろうか、私が高校入学と同時(S56.4)に佐伯鶴城高校に赴任して来られた。
そして赴任10年目にして、日本一(玉竜旗優勝)に導き、その後は大分県教育庁にて手腕をふるわれた。
最後のお役目として大分国体・障害者スポーツ大会局参事を全うして昨年12月31日をもって退職。
昨年の3月にも教え子による祝いの会も開けれたが、今回は過去最多数の140人が集まっての祝賀会となった。
そして今回は高山先生の意志を汲ませて頂き、夕方の祝賀会の前に先生による最後の特別授業(2時間)をして頂いた。
私は、今自分が置かれている立場や役割からこの授業を本当に楽しみにしていた。
実は、年末からいろいろと重なり、その疲れからか、緊張感の緩みからか、1日の夜から発熱し、2日の日は丸一日実家で寝ていた。
しかしなんとしてでも、先生の最後の授業が聞きたくて、3日病み上がりで微熱もあったが出席。
「来てよかった。」
午後2時から2時間その経験や想いを一所懸命私達に伝えてくれた。
私は普段なかなかお会いすることがないので、一言一句その言葉に出来ない部分まで感じようと集中した。
『練習は不可能を可能にする~後進に伝えたいこと』
このテーマは、25年前私が高校生であった時からおっしゃっていた言葉。
その信念に一切ぶれることはない!
組織というもののあり方を、当時からこんな言葉で教えてくれた。
『箱根山 駕篭に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人』
協調し合い、お互いが認め合う中に新しい(融合された)エネルギーが生まれる。
組織の中ではいろいろとやってることは違っても上下貴賤の別はない。
それぞれがその組織において重要な役割を担っている。
指導者というのは、その組織においていかにその役割の重要感をやってる人に認識してもらい、さらには徹してもらうことが仕事。
お互いがその役割を認め、尊び、感謝するところから不思議な力が湧いてくる。
『富士の裾野』
この表現も日本人らしくて好きだ。
富士山は雪を冠した頂だけが美しいのではなく、その広く広く広がった裾野を含めた全体の有り様が美しいのだと。
自分だけよければという想いでは、この富士山の本当の美しさには気付くことがないだろう。(深イイ話)
『天の時 地の利 人の和』(孟子)
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。
天のもたらす幸運は地勢の有利さには及ばない、地勢の有利さは人心の一致には及ばない。
やはり最後は人の心をどうして一つにするかということか。
「運動」で勝つには「運」が「動」かないといけない
ではどうしたら「運」が動くのか?!
高山先生曰く、日常の些細なことをおろそかにしない。
『履物を揃える』
『挨拶・返事をきちんとする』
『道具を大切にする』
『後始末をしっかりする』(掃除)
一見、試合の勝ち負けには関係ないようだが、こういうことがきっちり出来る人はきっとまわりの人から応援される。(見ている人はちゃんと見てくれている)
応援されれば、またより深い感謝の念が湧く。
この深い感謝の念を持ち続ける心境が、物事を成就させるエネルギーとなる。
『離見の見』(世阿弥)
世阿弥の花伝書の言葉らしい。
自分自身を客観的に観ることが出来るか?
舞台(職場)での自分を観客席(お客様の視点)から観ることができるか?
自分の後ろ姿を観ながら舞う(仕事をする)ことができるか?
知らないうちに自分の思い込みや偏見に捕われて身動きが取れなくなる。
そうならないように、自分を客観的に観る機会や場所を持っていなければならない。
そのひとつの方法に、私は人と会うことがあると思う。
人は必ず自分と違う領域を持っている。
言い換えると、自分とは違う見方ができるのである。
その言葉を素直に受け止めて、自己点検をしてみる。
私も自分では出来てるつもりが、できてないことに気付かされることがよくある。(出来てると思ってるレベルの差だ)
そうして常に自分自身を軌道修正していくプロセスの中に新しい自分を発見する機会が眠っていると思う。
これが『成長』というものではないんだろうか。
『観』・『見』の目付
『観』は心眼、物事の全体や裏側も観ること(感じること)
『見』は肉眼、物事の部分や表しか見えないこと
そして今では聞く機会も増えたが、人生で初めて高山先生に教えて頂いた言葉
『水滴は岩を穿つ』(※「うんがっふっふ」ではありません。良い子はマネをしないように! )
さらに今回はその後に続く言葉
『その強さにあらず、度数にあり』
1回1回は小さな力なれど、その回数によって大きな力以上のものになる。
そこにはきっと『美しさ』も共存していることだろう。
最後に『練習は不可能を可能にする』
その言葉を行動によって示してくれた先生の存在に心より感謝しております。
高山先生はおっしゃってました。
今の私の財産は『いろんな人との出逢い』だと。
高校時代は先生に持たれたことがなかったので、私にとっては最初で最後の授業。
ガッツリ、骨に響きました。
そして高山先生を始めとして多くの先生、先輩、そして後輩達が作ってきた佐伯鶴城剣道部からいただいたもの。
それは『誇り』!
こんな御時勢、人間『誇り』を失うとドンドン下等な動物に近づいていきますよ。
まあ本能と欲望のままに・・・(恐)
教育・経済・政治等々いろいろな現場で、この『誇り』が失われていますよ。
人間だもの、失敗したっていいじゃないですか。
『誇り』さえ失わなければ。
きっと尊い学びもあります。
傷つくことだってありますよ。
生きていれば。
そして心が磨かれていく。
今思うと、高校そして大学時代での剣道部での時間は、こうして社会に出て良きも悪きも物事の受け止め方の器のベースを頂いていたようです。
感謝。
なんかだらだら書き綴ってしまいましたが、佐伯鶴城剣道部卒業生の皆様、胸には『誇り』を、背中には今置かれたそれぞれの役割や責任を背負って、次の世代にかっこいい大人の後ろ姿を見せていきましょう。
最後になりましたが、高山先生並びに奥様の益々のご健勝を祈念いたしております。
眠り屋 店主